国指定重要文化財

中条家文書(レプリカ)の常設展示を開始します

 中央図書館正面入口を入ってすぐの右側に国指定重要文化財・中条家文書(なかじょうけもんじょ)のレプリカ(複製)を常設展示します。

 このレプリカは,京都の会社に依頼し,多色コロタイプという技法(*1)で作成されたもので,実物と見分けることが難しいぐらい精巧に作られたものです。

 このレプリカのお披露目式が,去る2月24日(火)の16時30分から,仙道学長ほかの方々をお招きして,中央図書館3階で行われました。

松尾教授から中条家文書につ
いての説明を受ける仙道学長












  左:人文学部松尾教授

  中:仙道学長

  右:早川図書館長

 *1: レプリカの作成方法

 

 撮影には,原寸撮影ができる特殊な大型カメラを使用します。撮影は,色の3原色(黄赤青)と墨の4色に分けて行います。コロタイプでは,こうして撮影したネガをそのまま原板として使用します。しかし,撮影したネガフィルムがそのまま使えるわけではありません。コロタイプの多色刷りというわたしたち独自の技法では,木版画やリトグラフと同じように,必要な色の数だけ版を作ります。これらの版は,すべて原寸で撮影したネガの部分部分です。こうしてとりだした版をそれぞれの色のインキで印刷していくわけです。この各色版に分け調子を整える作業は,熟練した技術者が経験によってほとんど手作業で行います。そのため,かなりの日数を要します。
できあがった版で,まず校正刷りをし,原本と照合,不十分な点を補正し,本番の印刷にかけます。
 刷りあがった印刷物は,必要に応じて補彩を施します。これにあたるのは,模写を専門とする日本画家たちです。

兜ヨ利堂HP http://www.benrido.co.jp/profile/koro.htmlより

「中条家文書」とは・・・


 中条家文書は、中世越後国奥山庄における支配関係を知るうえで貴重な資料群として注目されてきました。中条本家に伝来した中条家文書の中核をなす文書群は,昭和47年に中条敦氏により本学に譲与され平成4年にはその内の233通が重要文化財に指定されました。

 このうちで,最も古い時代に作成されたと言われる次の2点について,今般レプリカを作成いたしました。

(1) 「鎌倉幕府将軍家政所下文」



 この史料は,建久三年(1192)十月二一日付で政所が,源頼朝の意を受けて,平宗実を越後国(新潟県)奥山庄の地頭職に任命したことを奥山庄庄官(荘園の管理人)に伝えており,古文書学で「鎌倉幕府将軍家政所下文」と呼ばれるものです。政所と言うのは,三位以上の貴族の家政機関です。下文とは,上位の者(機関)が,下位の者(機関)に命令を伝える文書です。この場合,将軍家政所は,源頼朝の意志を代行しています。それゆえ,この史料は源頼朝関係文書なのです。建久三年十月二一日という年月日記載の後に書かれた「令」などは,いずれも政所の職員たちです。
 奥山庄というのは,現在の新潟県中条町,黒川村を中心に広がる荘園(私有地)で,藤原氏の一族の近衛家が上級の領主権を持っていました。平宗実とは,中条家の祖である三浦和田宗実のことです。彼が,奥山庄地頭に任命されたときに,中条家は端を発するわけですから,この史料こそは,中条家文書の最古のものです。
 和田宗実は地頭職に任命されていますが,地頭というのは,荘園で年貢の収取や治安の維持にあたりました。そうした職能は,武力が必要なので,武士が任命されたのです。和田宗実が任命された地頭職は,おそらくは,木曽義仲を滅ぼしたさいに没収し,功績のあった和田宗実に与えたのです。ここに,神奈川県の三浦半島を根拠地としていた和田宗実は越後国奥山庄に所領(内容は地頭職)を得たわけです。宛て先が宗実でなく,奥山庄庄官となっています。このことは一見奇妙ですが,本文書が和田宗実の子孫である中条家に伝わっているように,本文書は和田宗実に与えられ,それを彼が他の庄官に見せたのです。


                                                   (松尾剛次・人文学部教授)

                
<山形大学附属図書館報 やまびこ 第41号 1998.10 より>


(2) 「足利直義軍勢催促状」



 本文書は,建武五(1338)年閏七月十日付の足利直義軍勢催促状と呼ばれる。中条家は旧米沢藩士の家系で,宛名の三浦和田又三郎義成の末裔である。日付の下に花押(サイン)を据えている直義は,足利尊氏の弟で,1352年に尊氏に殺されるまで,尊氏から大幅な政治的権限を委ねられ,いわば総理大臣,文部大臣,最高裁長官などを兼ねていた。ここで,直義は,和田義成に対して,侍大将(軍指令官)高八郎師貞の命令に従って凶徒(後醍醐方の軍勢)対(退)治の合戦に従事し,軍忠に励むように命じている。高八郎は越後国(新潟県)の守護高師泰の代官として派遣された。


                                                   (松尾剛次・人文学部教授)

<山形大学附属図書館報 やまびこ第39号 1997.10 より>