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■■紅花の豆知識■■

  1. 紅花とは
  2. 紅花の植物学
  3. 原産地
  4. 特性と利用
  5. 名称
  6. 紅花の栽培
  7. 紅花の栽培(海外)
  8. 日本への伝来
  9. 紅花の栽培(日本)
  1. 最上紅花
  2. 紅餅
  3. 紅花染め
  4. 紅花商人
  5. のこぎり商法
  6. 紅花と文学
  7. 紅花屏風

■紅花(べにばな)とは■

紅花の花

紅花は黄色から赤になる花を咲かせるキク科の1年草です。花弁から染料や口紅の元になる色素がとれることから,古くから南西アジア・北アフリカを中心に広く栽培されてきました。

山形では江戸時代に最上紅花の栽培が盛んでした。このため,紅花は山形県の県花に指定されています。


■紅花の植物学■

変色していく紅花1 変色していく紅花2 変色していく紅花3
紅花の花 紅花の葉のトゲ

学名: Carthamus tinctorius L.
分類: キキョウ目キク科管状花族アザミ類ベニバナ属ベニバナ

キク科ベニバナ属ベニバナ。耐寒性の一年草で,秋に種をまき,夏に花を咲かせ,翌冬に枯れます(山形では早春に種をまきます)。

成長すると草丈は0.5〜1m,葉は5〜10cmほどになり,初夏に半径2.5〜4cmのアザミに似た花を咲かせます。咲き始めは鮮やかな黄色の花ですが,やがて色づき,赤くなります(左写真参照)。種子は花1つにつき10〜100個ほど,ヒマワリの種を小さくしたような種子がつきます。葉のふちに鋭いトゲがあり,このため花摘みはトゲが朝露で柔らかくなっている朝方に行われました。

ベニバナの原産地はまだ確定していません(→原産地)。地域によって多数の品種が育てられています。
→ 天童市の白い紅花(動画)(特殊な品種の一例)


■原産地■

エチオピア アフガニスタン
インド(パキスタン)

ベニバナの原産地ははっきりとは確定されていません。原産地の有力な候補としては,古くから栽培されていたインドやエジプト,アザミ類の野生が多いアフリカ・ナイル川流域(エチオピアなど),およびベニバナ近縁の野生種が多い中近東付近(アフガニスタンなど)があげられています。

最近ではゲノム(遺伝子情報)の比較なども行われており,中近東のベニバナ属の野生種に染色体数やゲノム構成の一致するものが確認されています。

参考文献:植物編(渡部俊三『山形のベニバナ』)


■紅花の特性と利用■

カルサミンの発現 細胞内のサフロールイエローとカルサミン 口紅
ベニバナ油の採油 ベニバナ油

紅花の主な利用法
茎・葉 食用、茶、飼料
生花 観賞用、ドライフラワー
干紅花 薬用、嗜好品、茶、酒
(紅色素) 着色剤、化粧用、染用、薬用、美術用
(黄色素) 着色剤、染用、美術用
種子 (紅花油)食用、薬用、塗料、紅花墨
(絞りかす)肥料、飼料

色素

紅花の代表的な特性は,花のもつ色素です。紅花の花には黄色素サフロールイエロー(safflor yellow)と紅色素カルサミン(carthamin)の2種類の色素が含まれていて,いずれも染め物などに利用されています。
サフロールイエローは水溶性で簡単に色素が取り出せるため,安価な衣料品の染めや料理の着色などに使用されます。
一方,カルサミンは発色がよく,高級な衣料品や化粧の紅などに利用されています。こちらは水に溶けないため,この色素を取り出すために紅餅などのさまざまな技法が開発されました。

油脂

次に種子の胚芽に含まれる植物油脂,ベニバナ油(Safflower Oil)があげられます。ベニバナ油はリノール酸が70%を占める半乾性油で,高品質で健康によい食用油として,現在の紅花栽培の主要な目的となっています。このベニバナ油の油煙から作る墨が紅花墨(べにばなずみ)で,書画用の墨としてよく使われています。油を搾ったあとの種子は安価で栄養価も高く,家畜の飼料などに用いられています。

その他

ベニバナはその他,薬用・観賞用などに使われます。若い芽や葉は食用されます。干し花も料理に使ったり,ハーブティーとして飲むことがあるようです。

→ 創作紅花料理レシピ集(紅花を使った料理のレシピ集)


■名称■

紅花には多数の名前があります。染料としての利用が盛んだったことを反映し,色や染め物に関わる名前が多いようです。

紅花(べにばな)

ベニバナの一般的な和名です。この紅花からとれる色彩であるため,赤い色や口紅を「紅(べに)」と言います。

久礼奈為,呉藍(くれない,くれのあい)

万葉集などに見える古い和名です(→紅花と文学)。「呉の藍」ともいい,外来の染料作物であるベニバナを代表的な染料作物である藍に例えて“呉から来た藍”と呼んだものです。「紅(べに)」と同じく,色の「紅(くれない)」も紅花から来た言葉です。

末摘花(すえつむはな,うれつむはな)

同じく万葉集などに見えます。ベニバナの花摘みの情景から付いた言葉で,花摘みのときに茎の頂にある花(天花)を摘み取るためとする説と,外側(末)の開いた花弁から順に摘んでいくためとする説があります。『源氏物語』に同名の段があります(→紅花と文学)。

safflower(英)

サフラワー。英語で紅花のこと。同形に saflor(独),Сафлор(saflor。露)など。語源はアラビア語で「紅花」を意味するusfurの変形,もしくは「usfur + flower(花)」から。なお,usfurは「黄色」を意味する語asfarから来ています。

Carthame(仏)

カルタム。フランス語で紅花のこと。同形に Carthami(ラテン語),Cartamo(伊)など。語源はアラビア語のquartom(染める),またはヘブライ語のKartami(染める)から。ベニバナ属の学名Carthamusもここから来ています。

bastard saffron,false saffron(英)

「サフランの父なし子」「偽サフラン」。アヤメ科の多年草サフランとの類似から,欧米ではしばしばこういった名称で呼ばれます。ともに黄色の染料として利用されるなどの類似があるため。中国などでもサフランを番紅花・蔵紅花などと呼び,しばしば混同していたことが知られています。

Carthamus tinctorius L.(学名)

Carthamus(ベニバナ属)は上記の通り。tinctoriusはラテン語で「染色用の-」を意味します。

その他の名称

紅花は世界各地で栽培されていたため,各国にさまざまな名称があります。

参考ページ(英語)→ Gernot Katzer's Spice Pages:Safflower (Carthamus tinctorius)


■紅花の栽培■

ベニバナは元々暑く乾燥した地域の植物なので,高温には比較的強い性質があります。また,苗の段階では耐寒性・耐湿性も高く,温暖な地域では冬を越すことも可能です。ただし発育後は寒さ・湿度ともに弱く,水や気温には注意が必要となります。

栽培はほぼ全国で可能ですが,気候や水,土壌によって成育が大きく左右されるため,育ち方は環境によって大きく変わることがあります。このため,地域に適した時期に種まきを行うことが重要になります。山形などでは雪害を避けるため,病気に備えるためから,雪解けののち畑が乾くのを待ってからすぐに種をまくのがよいと言われています(3月中旬〜4月中旬が適期)。

発芽は秋まきでは遅く3週間ほど,春まきでは数日で発芽します。秋まきではこのあと葉が地べたにはりついたような状態が二三ヶ月続き(春まきでは1ヶ月ほど),それから分枝し,初夏の頃に開花,それから花が黄色から赤へと変色します(変色しない品種もあります)。花を摘むのは7月中旬から下旬にかけて,種子の収穫は成花期から35〜40日後がよいと言われています。

参考文献:油料作物編(渡部俊三『山形のベニバナ』)

■紅花の栽培(海外)■

ベニバナの種まき(エジプト) ベニバナの畑(アフガニスタン)
ベニバナの畑(インド) ベニバナの畑(アメリカ・カリフォルニア)

紅花の原産地は不明ですが,紅花の栽培はインドやエジプトなどで数千年前から行われていました。エジプトでは紀元前2500年のミイラの着衣から紅花の色素が認められ,その頃には既に紅花の利用も始まっていたようです。

中国では3世紀には既に栽培されており,伝来に関しては漢代に僧・張騫が中央アジアからもたらしたという伝承があります。東南アジアなどにもかなり早い時期に伝来していたようです。日本にはおそらく中国から,6世紀頃には伝来しています。(→日本への伝来)

ヨーロッパやアメリカにはこれよりかなり遅れて伝来しました。こちらでは主に油料作物として栽培されたようです。 20世紀以降,化学染料の登場で染料作物としての生産は衰退しましたが,油料作物としては現在でもアメリカやオーストラリアなどで大規模な栽培が続けられています。


■日本への伝来■

日本への紅花の伝来は,中国の工人が裁縫や染色の技術とともに紅花の種を持ってきたのが始まりとも,推古天皇の時代に朝鮮半島から日本へやってきた僧・曇徴がもたらしたともいわれています。

平成元年に奈良県生駒郡の藤ノ木古墳(6世紀)の石棺内にベニバナの花粉と顔料らしいものが発見されました。このため古くから日本に伝来していたことは分かったのですが,伝来の時期については現在も定かではありません。

参考文献:渡来考編(渡部俊三『山形のベニバナ』)

■紅花の栽培(日本)■

紅花の種 花摘み

日本での紅花の栽培は上代には見え,平安時代には関東から中国地方にかけて,広く各地で栽培されていました。山形での生産は中世末期以降と見られ,近世初期になって紅花の代表的な産地となります。江戸時代を通じて日本各地で紅花の栽培が行われていましたが,最上紅花は高品質で知られ,生産量においても最大であったことが知られています。

その後,明治に入り中国産の安価な紅花の輸入や化学染料の普及などにより日本の紅花栽培も衰退しましたが,現在でも主に観賞用として,山形などで紅花の栽培が行われています。

山形市の紅花摘み(動画)

■最上紅花(もがみべにばな)■

享保期における全国生産高
産地生産概数(駄)
全国1,020
出羽最上415
奥州福島120
奥州三春30
奥州仙台250
西国肥後100
尾張10
遠江10
相模15
其他(不明)
* 1駄は32貫目(約121.6kg)
(『最上紅花史の研究』改訂版 p.36 より)

最上紅花は最上川中流域の村山地方で産出される特産の紅花のことです。村山地方は土地が極めて肥沃であり,また盆地の特性として朝霧や朝露が起きやすく,紅花の栽培に非常に適した土地でした。このため最上紅花は最高品質の紅花として非常に珍重され,幕末の「諸国産物番付」においては東の関脇として最上紅花の名があげられています。

生産量も非常に多く,各地に「紅花大尽」が現れるほどに最上紅花は近域の農業・経済に多大な影響を与えました。左は享保期の全国の紅花生産高の表ですが,この後も明治に入るまで最上地方の紅花生産高は大きく,その産量から「最上千駄」とも称されました。


■紅餅(べにもち)■

紅花水洗い 紅花をむしろに並べる
紅花を臼でつく
紅餅

紅餅作りは紅花の紅を取り出すための加工法の一つで,江戸時代に最も一般的な方法でした。
作業の概略としては以下の通りです。

  1. 収穫した紅花に水を加えてよく踏み,黄汁(ベニバナの黄色色素分)を溶かし出す。
  2. ザルに移してよく水で洗い,黄汁を十分に流す。
  3. 1・2の作業を繰り返し,よく黄汁を抜く。
  4. 日陰に寝かせ,二,三日おいて発酵させる。
  5. 酸化して粘り気を帯びた紅花を臼でつき,団子状に丸める。
  6. 丸めた紅花にムシロをかぶせて踏み,煎餅状にして天日で乾燥させる。
  7. 乾燥したものが紅餅(または花餅)。最上紅花は主にこの形で出荷する。

紅花の加工法としてはただ生花を乾かすだけの乱花の方が簡単ですが,紅餅にして発酵させることで,より鮮やかな紅が得られるといいます。 紅餅作りは古くは中国晋代の『博物誌』に見られる伝統的な技法ですが,行程や紅餅の形などにしばしば地域の特徴があります。

→ 「紅花屏風」:青山永耕筆,横山崋山筆とも,紅餅作りの風景を描いています。
→ 寒河江市の紅餅作り(動画):紅餅作りの様子です。


■紅花染め■

紅花染反物
紅花染紬織着物
紅花染手織帯

紅花染めは自然の草木を染料として使う草木染めのうちでも,花を使用する珍しい染めです(他の草木染めは主に葉や樹皮などを使用します)。紅花の花には黄色と赤の二種類の色素があり,染めにもそれぞれを使った二種類の染めがあります。

黄染めは水溶性の色素を使用するため容易で,紅餅作りの時に生じる黄汁などから庶民の染め物としてよく利用されました。一方,紅染めはかつては高貴な人しか着ることを許されず,京都の西陣織のような高級な着物にだけ使用されました。

紅染めは乱花(干紅花)でも可能ですが,一般には紅餅を使用します。紅餅から紅の色素を取り出し,布を染めるのですが,簡単にできる黄染めと異なり,紅染めにはいくつかのコツがあります。

一つは黄汁を抜くことで,この黄汁を抜かないと鮮やかな紅にならないといいます。このため紅餅をぬるま湯につけ,麻布などでよくしぼりしっかりと黄汁を抜きます。

次に色素を染め液に溶かします。ただの水では紅色素は溶けないため,灰汁などを加えて液をアルカリ性にして溶かします。

十分に色素が染め液に溶けてきたら,最後に酸性の液でこれを中和します。江戸時代の製法ではクエン酸を多く含む梅酢などを使用しました。特に烏梅(うばい)という完熟した梅の実を燻蒸した黒い玉が最も良い媒染剤として用いられたそうです。

この染め液に絹や木綿を入れて紅を付着させることで紅染めができますが,作業の温度やタイミングなどで出来が大きく変わってしまうため,熟練の技術が必要な作業であるといいます。

→ 紅花染めの例(紅花関係標本等資料)


■紅花商人■

水野藩御用商人の家業
格付氏名紅花関係主家業住所
御用達士格御用達 長谷川吉郎次荷問屋繰綿・太物卸十日町
長谷川吉内荷問屋呉服・太物卸十日町
村居 清七荷問屋繰綿・太物卸十日町
佐藤利兵衛荷問屋繰綿・太物卸十日町
福島 治助荷問屋綿砂糖古手蝋三日町
新御用達 佐藤 久太郎荷問屋紅粉製造三日町
佐藤利右衛門荷問屋呉服太物古着卸十日町
三浦 権四郎荷問屋太物小間物店四日町
鈴木 彦四郎荷問屋五十集物,砂糖卸五日町
(『最上紅花史の研究』改訂版 p.233より。一部項目省略)

最上紅花の最盛期には,生産地である出羽(山形),加工地である京都などに,多数の紅花商人がいました。
当館で公開している資料では,二藤部文書の二藤部家が山形側の紅花商人です。大石田河岸で舟持問屋をやるかたわら,仲買人などを用いて紅花の商いをしていたそうです。
紅花の受け取り先である京都では,紅花屏風を華山に依頼した伊勢屋理右衛門や,伊勢屋源助家文書の伊勢屋源助などの紅花問屋がいました。
江戸期の最上紅花はこのように,多数の紅花商人の関係した大産業だっだといえましょう。

山形の紅花商人の例
  右表.水野藩(山形藩)の主要な紅花商人


■のこぎり商法■

江戸時代の山形商人は,地元で換金性の高い紅花を現金買いにして京都や大阪に出荷し,その代金によって上方物資を直買いして山形に輸入するという経営の仕方を行いました。こうした商いの方法を「のこぎり商法」といい,山形商人はこれによって膨大な利潤を上げました。

■紅花と文学■

万葉集

万葉集では「くれなゐ」として紅花の歌が29首詠まれています。

  • 外のみに見つつ戀ひなむくれなゐの末摘花の色に出でずとも(巻十,1993)
  • くれなゐのやしほの衣朝な朝ななるとはすれどいやめづらしも(巻十一,2623)
  • くれなゐの花にしあらば衣手に染めつけ持ちていくべき思ほゆ(巻十一,2827)

源氏物語

『源氏物語』第六段を「末摘花」といいます。物語中に出てくる女性を,鼻の頭が赤いことをあざけって“紅花のように末に赤い花(鼻)がある”「末摘花」と呼んだことからついた題です。

芭蕉

  • まゆはきを俤にして紅粉の花
  • 行末は誰が肌ふれむ紅の花

■紅花屏風(べにばなびょうぶ、こうかびょうぶ)■

紅花の栽培を主題に描かれた屏風です。山寺芭蕉記念館と山形美術館にそれぞれ一双(屏風の数え方。二枚一セットで一双)ずつあり,「紅花の歴史文化館」では両屏風を高精細画像で公開しております。(詳しくはこちら

※主な参考文献

(「紅花の豆知識」の執筆に当たっては,以下の資料を参考にしました)

copyright 2005 山形大学附属図書館